私たちの企業文化の基盤

企業文化の礎

世界的な成功を収める企業として、ダイナミックに変化する世界で地に足がついていることは大切な心の拠り所です。 地に足がついていることとは、責任とビジョンを持って行動することを意味します。 それが私たちの原点であり、企業としての一体感を生むものなのです。1966 年以来、この原点に対する意識的な志向が安定した未来への羅針盤となっています。

企業文化

世界的な成功を収める企業として、原点への絆と共通の姿勢は常にLAMYの企業文化の基盤を形成してきました。起源と背景を踏まえ責任とビジョンを持って行動するという明確なコミットメントは、ダイナミックに変化する世界における心の拠り所であると同時に安定した未来への羅針盤でもあります。

私たちの共通の姿勢は、あらゆるレベルにおける日々の行動の指針となるコアバリューに基づいています。

ヒストリー

ハイデルベルクの小さな工場から世界的に主要なマーケットリーダーおよびブランドへと成長する過程において、1966年のデザインブランドLAMYの誕生は確かに重要なマイルストーンでした。 しかしそれ以外にもたくさんの出来事があります。少し時間を遡る旅に出てみましょう。

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2024

LAMYは2024年2 月以降、世界的に有名なブランドuniを手がける1887年創業の筆記具メーカー、三菱鉛筆株式会社の子会社となりました。

2021

ドイツで最も重要なデザイン起業家の一人、Dr.マンフレッド・ラミーが84歳で永眠しました。ハイデルベルク出身のDr.ラミーのリーダーシップの下、独立した家族経営のLAMY社は国際的に成功した筆記具ブランドに発展しました。1966年発売の LAMY 2000は筆記具市場に革命を起こし、今日の企業理念の基礎を築きました。モダンデザインと手で書くことに関する思想的リーダーとしてのDr.ラミーの取り組みは会社の枠をはるかに超えていきました。 Dr.ラミーはそのサクセスストーリーの中でユニークかつ並外れた遺産を残した先見の明のある人物でした。 彼の家族と380人の従業員はDr ラミー精神を受け継ぎ、その生涯の仕事を尊重し継続していきます。

2018

この年はとっておきの初公開で幕を開けました。ブランドの新たな側面を紹介し刺激的な洞察を提供する雑誌、LAMY specsの初版発行です。魅力的な 3Dアニメーションとビデオクリップで読書体験を拡張する拡張現実(AR)アプリによって、アナログとデジタルのコンテンツが見事に融合しました。2018年5 月にニューヨークにオープンした米国で2 番目となるラミー コンセプトストアでも体験が重視されました。訪問者は今やトレンドの発信地ソーホーでLAMYデザインの世界に触れられるのです。

2016

LAMYデザイン50周年はLAMY社の歴史における重要なマイルストーンであるだけでなく、新たな時代の幕開けでもありました。"Not just a pen" というモットーのもと、世界的なライフスタイルブランドへの発展を印象付けました。

数多くの製品革新に加えて、この記念すべき年にはもう一つのハイライトがありました。ドイツ初のフラッグシップストアをハイデルベルクでオープンしたことです。 これは国際的ブランドとしての存在感を新たなレベルに引き上げると同時に、創業の地との絆だけでなく、"Made in Germany" というブランドと品質の約束の再確認にもなりました。

最後にLAMYはこの記念の年を「thinking tools」展によって自社の50年にわたるデザイン史の展示に取り組む機会にしました。LAMYのデザインプロセスを、企業、デザイナー、製品開発者の三者間の複雑な協力作業として紹介しました。

2014

ドイツのマーケットリーダーとしてだけでなく、世界で特別な地位を占めるドイツのデザインブランドとしても、LAMYは筆記具市場で先駆的な役割を拡大しています。

2013

LAMY 2000の発売からほぼ半世紀を経て、LAMYはその象徴的なモデルに高品質なステンレススチール製オールメタルシリーズを加えました。この素材でLAMY 2000のタイムレスなデザインを実装することは決して容易なことではなく、機械と手作業による製造および加工プロセスの高度な組み合わせが必要です。全体として、傑作を生み出すための複雑なプロセスとなりました。

同年、LAMYは万年筆部門で「ドイツ・スタンダード・ブランド・アワード」を受賞し、高位の審査員によって有名なコンペンディウム「ブランド・オブ・センチュリー」に追加されました。

2010

LAMY spiritとLAMY picoがそれぞれ1996年と 2004年に権威ある "デザイン界のオスカー" を受賞したのに続き、LAMY notoが「ドイツ連邦共和国デザインアワード」を受賞しました。さらに、LAMY dialog 3(現 LAMY dialog)は「 iF デザインアワード」と「レッドドット・デザインアワード」を受賞しました。アワード審査員の間で高い支持を得た成功の一年でした。

2000

走り書き、スケッチ、デザイン...... 新しいミレニアムの到来に合わせ、クリエイティブな思考をする人々がアイデアを書き出すのに最適なペンとして発売されたのがハンネス・ヴェットシュタインが手掛けた LAMY scribbleです。

LAMY scribbleは人間工学に基づいた手にぴったりと収まるクラッチペンシルで、絵よりも主に文字を書く人へ向けたボールペンとシャープペンシルも併せてリリースされました。まるで木炭のような外観を持つこのペンは、建築事務所やデザインスタジオ、広告代理店などで働く人々から高い支持を集めました。

1996

LAMYデザイン30周年記念事業の一環として、壁に大きな現代アートが並ぶ光溢れるガラスのホール、LAMYガレリアが新設されました。 社屋の中心に位置するアートとインスピレーションの場所です。すぐ隣には同じく新設された開発センター、イノベーション・ワークショップがあります。

LAMYが新製品の設計、テスト、製造を行うこの未来的な建築の外観は特に際立っています。シルバーのスチールケーブルと塔門で支えられ、ソーラーパネルを備えたこのガラスのブラック・キューブは、LAMYデザインの明快さを誰の目にも明らかに示しています。ファサードに設置された太陽光発電モジュールが太陽エネルギーを供給し、水受けで集めた雨水で社屋の水の消費量を削減するなど、LAMYの高度な革新性と環境への配慮までもが反映されています。

1989

インクの製造を開始することで、LAMYは自社で行える工程をさらに拡大しました。

1988

LAMYの明白なデザインは製品だけにとどまらず、パッケージ、広告、店頭プレゼンテーション、さらには社屋の建築にも及びます。 この一貫したアプローチが評価され、欧州共同体委員会が新たに創設した 「1988年度ヨーロッパデザインアワード」を受賞しました。

1986

LAMYデザイン20周年に関連して、社屋のエントランスがコーポレートデザインの理念を反映したものに一新されました。7月、初代社長の カール・ヨーゼフ・ラミー が87歳で永眠しました。

1985

射出成形ホールの新設によりLAMYは独立へ向けた大きな一歩を踏み出しました。社内に金型製造部門と射出成形部門を持つことで、万年筆、リフィル、インクカートリッジを自社製造できるようになり、「メイド・イン・ジャーマニー」品質に対する約束をより明らかにしました。

1981

LAMYの高い技術水準は社内のいたるところで見られます。たとえば最新式の制御システムを備えた高層ラックが立ち並ぶ、新しい中央倉庫がそのひとつです。

1980

LAMY safariが1980年のフランクフルト見本市で初めて発表されたとき、将来それが世界中で愛されるベストセラーの万年筆になるとは誰も予想していませんでした。

LAMY safariの登場でLAMYは初めて10歳から15歳の若いターゲット層を獲得しました。特徴的なワイヤークリップを備えたこのペンの誕生は、青少年心理学の分野における広範な研究と、デザイナーであるヴォルフガング・ファビアンとバーント・シュピーゲル教授率いるマンハイム開発グループの緊密な協力のたまものです。 人間工学に基づいたデザインと強靭な仕上がりは若年層のニーズに的確に応え、すぐに大人の間でも熱狂的ファンを獲得しました。

1976

市場で成功するにつれ、マーケティング手法が注目されるようになりました。大きく見直された新しい広告キャンペーンは人々の意識に浸透し、90 年代に至るまでLAMYブランドのキャラクターを形作りました。それはドイツで最も高い評価を受けた広告キャンペーンの一つでもありました。

1973

Dr.マンフレッド・ラミーが LAMY社の取締役社長に就任。

1972

流通と販売に関しては、筆記具の専門店に全面的に依存していました。この一貫した姿勢は多くの要素によって特徴づけられました。ラミー・ライティング・センターと名付けられた魅力的な店頭プレゼンテーション、クリエイティブな販促キャンペーンや店頭ディスプレイ、そして流通業者に対するアドバイザリー・カウンシルなどです。

1966

LAMYブランドの知名度を高めるための新たな機会を求めて、若きマーケティング・マネージャーだった Dr.マンフレッド・ラミーはブラウンやオリベッティといった当時プロダクトデザインにおける先駆的な基準を打ち立てていたブランドに強力なロールモデルを見出しました。その後間もなくして、ブラウン社でデザイナーを務めていたゲルト・A・ミュラーと出会ったことは、まさに運命的な出来事でした。二人はすぐにバウハウスの伝統に基づいた万年筆をデザインするという共同プロジェクトを立ち上げました。

1966年秋に発表されたLAMY 2000万年筆はいくつかの点で画期的でした。他のブランドとは異なり余分な素材やデザイン上の小細工が一切なく、バウハウスの「形態は機能に従う」という原則に基づいて実用的な機能に重点を置いた設計で、現在もLAMYのすべての筆記具に通じる明確なデザインランゲージの基礎を築きました。マット仕上げのステンレススチールとマクロロン(ポリカーボネート)という当時としてはまったく新しい挑戦的な素材の組み合わせにより、技量の面でも新たな基準を打ち立てました。

1964

LAMYは大容量リフィルとステンレススチール製ペンチップを備えたドイツで初めてのボールペン、LAMY exactにより、高級ボールペン市場での地位を確立しました。国内外での成功により、LAMY exactとそのモダンなデザインは売上の面で大きな貢献を果たしました。

1957

現在の拠点であるハイデルベルクのヴィーブリンゲン区に社屋を移転しました。

1952

革新的な 「ティントマティック 」システムにより、スムーズでクリーンなインクフローを実現した流線型の万年筆LAMY 27はLAMYブランドの象徴となり、市場での躍進を成し遂げました。

1939

第二次世界大戦の初めには、毎年200,000本以上のORTHOS万年筆とARTUS万年筆が生産されていました。

1930

アメリカの筆記具メーカーで輸出マネージャーおよび支店長を務めていたカール・ヨーゼフ・ラミーが、ドイツ・ハイデルベルクでORTHOS社を設立しました。

メイド・イン・ジャーマニー

LAMYはハイデルベルクで創業した、業界を牽引するドイツの筆記具メーカーです。

デザイン

"形態は機能に従う"というバウハウスの原則に基づき、LAMYにとってデザインとは、単なる製品デザインを超えた総合的なアプローチです。

品質

技術、素材から生産に至るまで、LAMYの高い品質基準はバリューチェーン全体を貫いています。

シンキング・ツール

LAMYのペンは単なるペンにとどまらない、新しい表現を創出し思考の具体化をサポートする"シンキング・ツール(Thinking tools)"です。